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商品名ONE PIECE ワンピース ワールドコレクタブルフィギュア vol.15 全8種セット [おもちゃ&ホビー]
説明・対象年齢 :8才以上
・主な製造国 :中国
・(C)尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
【メーカー】バンプレスト 【商品名】ONE PIECE ワンピース ワールドコレクタブルフィギュア vol.15 全8種セット
【セット内容】TV121 ルフィ/TV122 ネフェルタリ・ビビ/TV123 カルー/TV124 コブラ/TV125 イガラム/TV126 ぺル/TV127 チャカ/TV128 ロビン

恐竜その他について書き散らかす場末ブログ

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Ulughbegsaurus uzbekistanensis (UzSGM 11-01-02 (holotype) and CCMGE 600/12457) and Timurlengia euotica (composite).

Scale bar is 1m.

 

 ビッセクティBissekty層といえばウズベキスタンの上部白亜系――貴重なチューロニアン(の中期~後期;約9200万~9000万年前)の陸成層であり、様々な「

後期型」の恐竜(たとえば 科、ケラトプス科、ハドロサウルス科等々)の起源を辿るうえで極めて重要な地層である。化石は基本的にばらけた状態でしか産出しない(保存状態はわりあい良好なのだが)ものの、これまでに「中間型」 類のひとつであるティムーレンギアや、「ケラトプス科一歩手前」にあたるトゥラノケラトプス、バクトロサウルス段階と思しきレヴネソヴィアなど、様々なものが命名されている。命名に至らないものであっても、当時の恐竜相を考えるうえで貴重な化石が多数知られているのである。

 

 コニアシアン~チューロニアン以降、つまり

「中期」以降にローラシアで大型の強肉食性獣脚類の大転換が起こったことはとうの昔に知られていた。 前期には(ゴンドワナを含めた)世界中で隆盛を極めていたカルカロドントサウルス類(やメガラプトル類など)が、 「中期」が過ぎ去ってみるといつの間にか大型の 類ときれいに入れ替わっているのである。 類自体はジュラ紀後期からすでに中型獣脚類としてローラシアではわりあいポピュラーだったようなのだが、とはいえ 「中期」あたりでなにかが起きたことは間違いない。

 

「中期」は世界的に恐竜化石に乏しいというのもよく言われる話であり、ローラシアにおける最後の非 類の頂点捕食者らしいものの化石は暗澹たる有様であった。化石は恐ろしく断片的であり、究極的には( 科につながる系統ではないのは間違いないとはいえ)系統的な位置付けすらはっきりしなかったのである。

 

 ウルグベグサウルス・ウズベキスタネンシスと命名されたそれは、かつてネソフによって採集された上顎骨の断片に過ぎない(保存はまずまずである;他に上顎骨の断片が2つ参照標本とされているが、これらはネソフによって

類とされたのち、スーズらによってイテミルスとされていたものである)が、そういうわけで非常に重要な発見である。 「中期」のアジアでカルカロドントサウルス類(やチランタイサウルスのような得体のしれない何か)が頂点捕食者に君臨していたらしいことはすでに知られていたわけだが、ビッセクティ層で――まぎれもない中間型 類(恐らくはアークトメタターサルを持つ)と同じ時代、同じ場所から非 類の中大型獣脚類が発見されたのである。しかも時代はチューロニアンであり、シアッツとモロス(産出層準はずれるのだが、とりあえず両者ともセノマニアンである)といった北米のケースよりも明らかに新しい。

 

(系統解析は二通り――つまり、メガラプトラをカルカロドントサウリアとして扱うものと、コエルロサウリアとして扱うという二つの意見を踏まえたうえで試みられている。前者のデータセットではウルグベグサウルスは悪名高きネオヴェナトル科――ネオヴェナトルとメガラプトル類の多系統の中に含まれた一方で、後者のデータセットではメガラプトラが

上科に取り込まれるのを尻目にウルグベグサウルスはネオヴェナトルやコンカヴェナトルなどと共にカルカロドントサウリアの基底で多系統をなした。ちなみに、チランタイサウルスは前者ではネオヴェナトル科に、後者ではコエルロサウリアの最基盤に置かれている。もろもろはさておき、とりあえずウルグベグサウルスは(メガラプトラとは関係のない)カルカロドントサウルス類であることは確かなようである。)

 

 かくして、

の陸上生物相における頂点捕食者の大転換の空白期間はチューロニアンより後かつカンパニアンより前――コニアシアンとサントニアンというたった600万年の間に絞り込まれた。ローラシアにおけるコニアシアンとサントニアンの恐竜化石の乏しさはチューロニアン(なにしろビッセクティ層とモレノヒルMoreno Hill層があるのだ)の比ではなく、もはや絞り出せるものは絞り切った感さえある。とはいえ、アジアには――モンゴルや中国、韓国にはまだあまり研究の進んでいないこの時代の陸成層が広がっているし、日本はと言えば北海道でいくらでもアンモナイトが出てくる――それらに混じって稀に恐竜化石も採集される――時代でもある。たった600万年ぶんの地層を片っ端からつついて回る時代は、とっくに始まっているのだ。

 

(余談だが、本稿の執筆時点ではウグルベグサウルスの記載論文のSIにはまだアクセスできない――のはいいとして、本文中の図版ではドリプトサウルスがしれっと

科になっていたりする。言葉あそびはともかくとして、それまでローラシアにのさばっていた(さまざな系統の?)大型獣脚類とそっくり入れ替わったのがちょうどこのあたり――アレクトロサウルスの次の段階の 類だったのも確かだろう。)

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↑Skeletal reconstruction of Dryptosaurus aquilunguis holotype (ANSP 9995 and AMNH 2438) and Merchantville dryptosaurid ("holotype" YPM 21795 and "paratype" YPM 22416). Scale bar is 1m.

 

 ドリプトサウルスの記事は本ブログなりなんなりで散々書いてきたわけだが、とはいえ日進月歩の古生物学である。マーシュがドリプトサウルス科を設立して130年あまりが過ぎ、一方で1990年代以降ドリプトサウルス科という用語が(何かしらのきちんとした分類学的な意味をもって)用いられることはなくなって久しかった――が、突如として復活させる意見が出現したのである。

 

 これまでの系統解析ではドリプトサウルスはことごとく“ぼっち”――特にアパラチオサウルスと姉妹群になることもなく、アークトメタターサルを獲得した基盤的ティラノサウロイドから

科へと続く流れの中にぽつりと浮かんでいた。ドリプトサウルスが時代のわりに原始的な 類であることはほぼ間違いなかったのだが、他の 類との系統的なつながりははっきりせず、アパラチア産の 類の実態も不明瞭であった。

 今回ブラウンスタイン(精力的かつ散発的にアパラチア産の恐竜化石について出版している)がドリプトサウルス科――ドリプトサウルスと姉妹群をなした――として記載した標本は、ほぼ完全な中足骨であるYPM 21795(および同一個体由来と思しき単離した尾椎YPM 22416)である。これは2017年(11月末)にブラウンスタイン本人によって記載されていた――が、同年(12月)にダールマンらによっても記載されていたという標本である。

 これらの標本が産出したのは、デラウェア(とニュージャージーの州境近く)はチェサピーク・デラウェア運河の北岸に露出するマーチャントヴィルMerchantville層(論文の中ではざっくりサントニアン~カンパニアン前期と書かれていたりもするのだが、この産地周辺のアンモナイトの記録からすると、カンパニアン前期のスカファイテス・(S.)ヒッポクレピスⅢ Scaphites (S.) hippocrepis III帯、すなわち約8150万~8130万年前ごろと言ってよいだろう)である。マーチャントヴィル層も例によって古くから恐竜化石が知られているのだが、ことごとく部分的かつ保存状態もよくない有様であった。

 YPM 21795にせよYPM 22416にせよ保存状態はよくないのだが、それでもYPM 21795の第Ⅳ中足骨は全体が残っており(遠位端が破片化してはいるが)、ドリプトサウルスやアパラチオサウルス等々、様々な

類とのきちんとした比較が可能であった。第Ⅱ中足骨も近位部はそっくり残っており、足の甲の概形を観察することができたのである。

 ドリプトサウルスの第Ⅳ中足骨はかねてより妙な形態であることが指摘されていた――アークトメタターサル化しているのは確かだったが、他の進化型の

類と比べてやけにのっぺりしたつくりだったのである。YPM 21795の再検討により、ドリプトサウルスと共通する特徴――遠位部のくびれを欠いた、全体にのっぺりしたつくりが見出されたのだった。系統解析の結果、いわゆる中間型 類が派手な多分岐をなす中にあって、本“種”はドリプトサウルスと姉妹群――ドリプトサウルス科をなしたのである。

 

(本論文の中で命名は行われていないのにもかかわらず、文中では思い切りホロタイプやパラタイプとの言及がある。論文の分岐図をよく見ると、「Merchantville Taxon」の下に「Cryptotyrannus」(イタリック体)が隠れており、どうも査読で怒られつつうっかり消し損ねたようだ。何ならSIにはモロに「Cryptotyrannus_orourkeorum」の文字が隠れている。)

 

 「マーチャントヴィル層のドリプトサウルス類」は言うまでもなくきわめて断片的な標本に基づいており、系統関係の評価は究極的には本“種”やドリプトサウルスのもっとずっと完全な標本を待つことになるだろう。それでも、ドリプトサウルスと有意そうな類似が見出されたのは今回が初めての例であり、中足骨の特徴の再評価にはつながるだろう。

 YPM 21795の第Ⅳ中足骨はドリプトサウルスのホロタイプのそれよりむしろ長いのだが、はるかに華奢であり(むしろドリプトサウルスがサイズのわりに妙にごつい点に注意すべきだろう;YPM 21795のきゃしゃさはむしろサイズ相応であり、同サイズの

科の大型幼体と似ている)、恐らくはドリプトサウルスのホロタイプよりも脚が長かったのだろう。あるいは「マーチャントヴィル層のドリプトサウルス類」の成体がドリプトサウルスのそれよりも大きかったというのはありそうな話でもある。

 マーストリヒチアン終わり近くのアパラチアには、カンパニアン前期から続いた「アパラチア型」の末裔だったらしいドリプトサウルスがのさばっていたようだが、一方で急速にララミディアから恐竜が侵入しつつある時代でもあったはずである。ララミディアから侵入してきた大型の進化型

類――たとえば ――との交流があったかどうかは藪(というかその辺の泥灰岩)の中にある現状だが、最終的に1匹残らずK/Pgの境界イベントで消え去ったのも確かである。

 

 

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↑Skeletal reconstruction of Triceratops horridus "LANE" HMNS VP1506.

 Scale bar is about 1m.

 

 古くから知られている恐竜の場合、古くから知られていること――現代的な記載に基づく分類群でないことそのものが厄介な問題を引き起こすことは本ブログで散々ネタにしてきた。再記載の中で本来(意図せずして)意図していた分類群とは別物らしいものが乗っ取ってしまうケース(たとえばイグアノドンやコエロフィシス;カルカロドントサウルスも恐らくはそうであろう)もしばしばであり、歴史的な分類群の再記載は誰しも望んでいる一方、目を通す時は身構えがちにもなる。

 

もぼつぼつまとまった再記載が必要になっている頃合だが、その中心になるべきであろう標本はいくつか(いくつか、である)存在する。その中でも特に中心的な役割を果たすであろう標本がHMNS VP1506――“レインLANE”の名でしばらく前から知られていた、ほぼ完全な骨格――広範囲の皮膚痕付き――である。

 

 BHI(GR)――ブラックヒルズ地質学研究所(れっきとした営利企業である)の縄張りといえばヘル・クリークHell Creek層、特にお膝元であるサウスダコタ州の印象が強いが、アメリカ中西部で化石を掘らせてくれる私有地があれば黙っている業者ではない。同時異相であるランスLance層の広がるワイオミング州でも盛んに発掘を行っており、

の「ふるさと」であるナイオブララ郡で1998年に掘り当てたのが見事な の部分骨格――“ケルシーKELSEY”であった。

 “ケルシー”は当時“レイモンドRAYMOND”――その数年前にウォーフィールド・フォッシル・クオリー社から委託を受けて発掘のちクリーニング、キャストの制作までをこなしていた――に次ぐ完全度の

であった。頭骨は(ひどく潰れてはいたものの)右半分が完全に残っており、肩帯ごと前肢がすっぽ抜けて失われていた(例によって尾もなかった;全体として変形がひどい)ほかはほぼ完全に保存されていたのである。

 BHIは“ケルシー”を産した牧場の主であるザーブスト家と良好な関係を築き、その後もザーブストの牧場で化石の発掘を続けた。やがて現れたのが“レイン”――骨格の大半を包んでいたコンクリーションに皮膚痕が保存されているのが現地で確認された――だった。

 

(ザーブストの牧場ではこのほかにも様々な化石を産出しており、例えば恐竜科学博にて展示されていたランス層産の足跡ブロックもここの産である。)

 

 “レイン”の発掘は2002年の夏から始まり、コンクリーションはなるべく現地で手を付けることなく採集された。果たしてラーソンの読みは当たり、ほぼ完全な――まんべんなく全身が揃った骨格と、数m2におよぶ皮膚痕が確認されたのである。骨格だけでなく、皮膚痕も(頭と尾を除く)全身を代表するものであった。

 最終的に“レイン”はヒューストン自然科学博物館(HMNS)が皮膚痕もろとも購入することとなり、実物化石のマウントが皮膚痕ともどもリニューアル後の目玉として展示されることとなった。どういうわけか来日している話はさておき、以来“レイン”はそこにある。

 

(“レイン”にはBHI-6220の「社内ナンバー」が与えられていたが、HMNSへの売却にともなって新たな標本番号が与えられることとなった。HMNS 2006.1743.00のナンバーはしばしば見かけたものであるが、HMNSの標本番号は部門別の通し番号方式であり、これは恐らく標本受け入れ時の仮番号と思われる。文化庁向けの申請書類にはHMNS VP1506の記載があり、これが正規ナンバーということだろう。遅くとも2007年にはHMNSへの売却が決定していたのも間違いない。)

 

 “レイモンド”は科博、“ケルシー”はインディアナポリス子供博物館(TCMI)、そして“レイン”はHMNSと、BHIが手塩にかけて送り出した3匹の

はそれぞれ終の棲家――公立博物館へ移って久しい。一方で、なにがしかの研究の主要材料として出版されたのは“レイモンド”に留まっている状況でもある。

 “ケルシー”の骨格に関する簡単な報告は2004年に、“レイン”の皮膚痕に関する報告は2007年にSVPでなされたが、その後続報はない。「モンタナ闘争化石」の片割れを合わせれば、

の骨学的情報の事実上すべて、そして外皮のかなりの情報が明らかになる状況ではあるのだが、「モンタナ闘争化石」の行先が決まった以上の動きのないまま今日に至っている。

 “レイン”はBHIによって3Dスキャンが行われており、研究にはうってつけの状況が整っているはずである。待ちわびた

の詳細な骨学的記載は遠いが、それでも彼らはそこにある。

 

 

 

 

 暑かったり寒かったり雨が降ったり降らなかったりする季節である。コラ画像めいた表紙は第三者によるコラージュではなく、

であった。

 さんざん本ブログでは取り上げてきた(いずれ出るであろう第3版のときも何か書くことになるだろう)が、振り返ればThe Princeton Field Guide to Dinosaursの初版は10年以上前の本であった。2016年に第2版、2020年には第2版の邦訳と、順調に売れていたらしいことになる。

 ポールの骨格図といえば今も昔も恐竜で有名ではあるのだが、恐竜骨格図集などにもあるように、時折恐竜ではない古生物(まれに比較用の現生動物)の骨格図を描くことがあった。プテラノドンやランフォリンクス、プテロダクティルス程度しか見かけたことがないのだが、そういうわけで翼竜の骨格図もいくらかはこれまでに描かれていたわけである。

 ポールの新刊――The Princeton Field Guide to Pterosaursは、128ページとのことで、ボリューム自体は恐竜フィールドガイドの1/3程度といったところのようだ。とはいえ相当な量の骨格図が掲載されるらしい(翼竜であるということで、2面図が基本になるのかもしれないが)ことは明らかで、やはり比類なき本にはなるだろう。

 

 翼竜の骨格図を描くのは端的に言って難しい。これまで筆者もわずかばかりの翼竜を描いてきたが、ひどく潰れて変形し、左右の翼で(明らかに変形によって)骨の長さが派手に変わることさえ常であった。そうした中にあって、翼竜の骨格図をコンスタントに描いてきたプロのイラストレーターと言えばマーク・ウィットンとデイビッド・ピーターズが双璧をなすという、暗澹たるありさまだったのである。

 

(何度か書いてきたことではあるのだが、ピーターズによる骨格図の「技法」そのものはきわめてプリミティブかつ真っ当で真摯なものである。今日でさえ、潰れた骨の「補正」はほとんどの場合科学的とは言えないやり方に頼らざるを得ず、潰れた要素をそのままトレースして描き出すやり方の方が(アウトラインが決して生存時のそれを表わさないという点に留意する限り)よほど科学的であるといえよう。何を見て何を拾い出すかという問題である。)

 

 全盛期のポールによる翼竜の骨格図は(おそらくは)わずかしか存在せず、従って、The Princeton Field Guide to Pterosaursで描き出される翼竜の骨格図たちがいかなるものかは表紙を開けてみるまでわからなさそうだ。ロックの黄金時代を知っていたからこそ死についても嘆きようがあった恐竜フィールドガイドであったが、ポールの描く翼竜の骨格図については(世界中のおそらく誰もが)ほぼ未知数の状態であろう。

 恐ろしいことに刊行日は2022年6月7日と明言されており(書影もばっちりである)、本はあらかたできあがってしまっているのだろう。ケツァルコアトルスのモノグラフの出版が秒読みらしい(本来なら2018年ごろには出版される予定だったらしい)が、このあたりも含めてさてどうなるだろうか。奇妙でおもしろく、そして(たぶん)せつない本になってくるのは恐らく確かである。

 

 

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↑Skeletal reconstruction of Juratyrant langhami holotype OUMNH J.3311-1~30. Scale bar is 1m.

 

 

類の確実な化石記録が に限定されていた時代はもはや遠く、ジュラ紀の様々な 類が報告されるようになって久しい。ジュラ紀 類といえばプロケラトサウルス類が比較的よく知られているのだが、一方でこうした「傍系」ではない、より 類の「本流」―― 科につながっていく系統も上部ジュラ系から知られている。いわゆるストケソサウルス類――ほぼ下半身に限定された化石たちがそれである。

 

 アメリカの上部ジュラ系陸成層の代表であるモリソン層は、19世紀の後半から数々の名産地を輩出してきた。中でも1927年に発見されたユタ州の大規模ボーンベッド――のちにクリーヴランド=ロイド恐竜クオリーとして知られる産地では、おびただしい数のアロサウルスの亜成体、幼体が産出したのである。

 クリーヴランド=ロイドの大規模発掘は、ストークス率いるプリンストン大学のチームによって1939年に開始された。3シーズンでアロサウルスのコンポジットマウントを組み上げるに十分な量の骨格が集まり、まだいくらでも化石が産出する気配があった――が、太平洋戦争の勃発で調査は中断となった。

 戦争が終わってもしばらく調査は再開されなかったのだが、1960年にストークスの助手としてユタ大学のジェームズ・マドセンが加わり、大規模発掘は再開された。途方もない量のアロサウルスが採集され、調査チームは「ユタ大学共同恐竜プロジェクト」――今日の恐竜化石ビジネスの原型――を立ち上げることとなった。調査資金の提供と引き換えに、ここで採集された標本やそのキャスト――今日まで続く「尻尾の長いアロサウルス」を決定付けたもの――が世界中に広がっていったのである。ここで組み上げられたコンポジットのひとつは1964年に日本へ渡り、今日もなお国立科学博物館にたたずんでいる。

 

 クリーヴランド=ロイドではわずかながら竜脚類カンプトサウルス、ステゴサウルスが産出したものの、ほとんどは獣脚類――それも大半がアロサウルスであった。とはいえいくらかは別の獣脚類も紛れ込んでおり、その中にはそれまでモリソン層では知られていなかった新種が複数含まれていたのである。

 1974年になり、マドセンはここで産出した獣脚類のうち、2組の腸骨を新属新種――ストケソサウルス・クリーヴランディStokesosaurus clevelandiとして記載した。全長4mに満たない中小型恐竜ではあったのだが、それらの腸骨は

科のものと酷似していたのである。究極的には新しい科が必要となるであろうことを注記しつつも、マドセンは暫定的に(しかしわりあいに確信をもって)ストケソサウルスを 科に置いたのだった。

 

(マドセンはこの時、クリーヴランド=ロイドで産出した前上顎骨の断片を暫定的にストケソサウルスとして記載した。この標本UUVP 2999はタニコラグレウスのパラタイプとなったのち、ケラトサウルス類の可能性を指摘されて今日に至っている。)

 

 ストケソサウルスらしい化石はその後も時折モリソン層で発見された――が、いかんせんストケソサウルスの標本はホロタイプ、パラタイプともに単離した腸骨だけであり、部位の重複しない標本との比較は当然不可能であった。分類不詳のモリソン層産獣脚類のゴミ箱へと(当然のごとく)転落していく一方で、21世紀に入るとアヴィアティラニAviatyrannis、ディロン、グアンロンと・

前期そしてジュラ紀後期の 類が続々と記載されるようになっていった。

 ストケソサウルスが

類に属するらしいことを疑う研究者はいなかったのだが、とはいえ相対的にストケソサウルスの重要性は低下していった。が、2008年になって、イギリスからストケソサウルス属の新種――ストケソサウルス・ランガミが記載されたのである。

 

 この標本OUMNH J.3311-1~30(骨それぞれにナンバーが振られている)は1984年にキンメリッジ粘土Kimmeridge Clay層――海成層――から産出したものであった。1990年代には新属新種として記載する向きさえあったらしいのだが、表舞台に出てくるのにずいぶんかかったかっこうである。

 化石の大半は派手に変形してはいたのだが、それでもほぼ完全な腰帯と大腿骨、脛骨、そして各部位を代表する椎骨は残っていた。

上科内での系統的な位置付けは定まらなかった(多分岐になってしまった)が、グアンロンに続くジュラ紀のまごうことなき、しかも中型サイズの 類の部分骨格が明らかになったのである。

 

(キンメリッジ粘土というからには当然キンメリッジアンの語源ではあるのだが、OUMNH J.3311の産出層準はチトニアン下部であった。キンメリッジ粘土ではダケントルルスや

リアも知られているが、これらはキンメリッジアンの産である。)

 

 その後の数年で原始的な

類に関する研究は加速度的に進み、ストケソサウルス・クリーヴランディとストケソサウルス・ランガミを特別に――同属として結びつける理由が特になかったことが明らかになった。同時代の動物であり、古地理を考えても特別離れているわけでもなかった(北米とヨーロッパとで恐竜相の属どころか種さえ共通するものがいるかもしれないレベルである)が、とはいえ両者に共通する腸骨の特徴は、原始的な 類で一般的にみられる特徴でしかなかったのである。

 かくしてストケソサウルス・ランガミ改めジュラティラント・ランガミの誕生となったわけであるが、その後の系統解析でも相変わらずストケソサウルスと近しいポジションに置かれ続けている。同じくイギリス産であるエオティラヌスとももっぱら近しい位置に置かれているが、これらのディロン―シオングアンロンの中間に置かれているヨーロッパの基盤的

類が単系統をなすのかどうかははっきりしないままである。

 

 ストケソサウルスとジュラティラントは、ジュラ紀後期にはすでにプロケラトサウルス類とは別系統の(究極的には

の末までつながる) 類が存在していたことを示している。ストケソサウルスはさておきジュラティラントは全長5mを優に超えており、(おそらくは様々な系統の) 類が長らく中型獣脚類として生態系に居座っていたことを示しているのである。

 ジュラティラントにせよエオティラヌスにせよ、非プロケラトサウルス類の大枝に属するのは違いないとはいえ、後の進化型――アークトメタターサルを備える明らかな単系統との関係は定かではない。頂点捕食者として

類がアロサウルス類(や謎めいたチランタイサウルスのような系統)にとって代わったのは間違いないが、 類の中でも様々な系統の激しい移り変わりがあったのも間違いないのである。

 

 

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↑Composite skeletal reconstruction of "DPF Zapsalis" Saurornitholestes langstoni largely based on  UALVP 55700. Scale bar is 1m for  UALVP 55700.

 

 いい加減で夏である。どうしようもない情勢にあるのはだいぶ前から変わらずで、とはいえ筆者の出る幕はどうにか2件ほどお披露目されている格好である。どちらも関係者の尽力(文字通りであろう)によって立った企画であり、ぜひ体感していただきたいところである。

 

 丸5年は前になるが、久慈―――

北東部に露出する久慈層群(チューロニアン~カンパニアン前期)の玉川層上部(チューロニアン後期;ざっと9000万年前ごろ)のマイクロサイト――マイクロサイトにふさわしく、実に様々な小型の化石が報告されている――からリチャード テシアRichardoestesia(リカルド テシア表記も一般に見かけるものであるし、原記載者の意図としてはそちらの方が沿っているような気もするのだが、それはそれである)が産出したという話が知られるようになった。北米ではうんざりするほど(市場にも一般的に出回る程度には)産出する化石ではあるのだが、一方でアジアでは奇妙なほど記録に乏しく、いわゆる“tooth taxon”――ほぼ歯化石のみに基づく事実上の形態属――にしても珍しいものが出たということで、それなりに盛り上がったような記憶がある(そのあと筆者は酒を飲んだのだが)。とはいえ大々的にぶった話でもなく(学会の夜間小集会で出た話題でしかなかった)、なかなかどうして(他の恐竜の歯化石もろとも)論文になる気配もなかったのである。

 だしぬけに7月9日付で久慈のリチャードエステシアの化石が報道発表された公式のリリースがなぜか一番しょっぱい)が、これは2“種”――模式種であるリチャード

テシア・ギルモアイR. gilmoreiと リチャード テシア・イソスケレスR. isoscelesであった。そしてパロニコドンParonychodon(種小名の言及はないが、とりあえず歯冠がひょろ長くカーブの弱いタイプである)とおまけに 類(少し前に単発で報道発表があったもの;いわゆるアウブリソドン型)までついてきたのである。

 

 リチャード

テシアとパロニコドンといえば、アジアでは珍しいものの、北米ではいくらでも産出する部類の化石である。空間のみならず時間分布も広く(玉川層の記録はかなり古い部類に入る)、 後期後半の北米の恐竜相の復元では避けて通れないはずではあるのだが、体骨格が事実上知られていない(リチャード テシア・ギルモアイのホロタイプで歯骨の断片が知られている程度)ため、何かしらの復元は非常に困難である。

 パロニコドンは歯しか知られていないものの、リチャード

テシアと比べればずいぶんマシな状況にはありそうだ。パロニコドンと同様の分岐したリッジをもつザプサリスZapsalis(これも"tooth taxon"として悪名高い)はサウロルニトレステスやバンビラプトル、ヴェロキラプトルの第2前上顎骨歯と酷似することが知られており、つまりザプサリスはなにかしらの(それぞれの時空間に応じた複数種の)エウドロマエオサウルス類の前上顎骨歯と考えることができる。パロニコドンも様々なデイノニコサウルス類――トロオドン類やなにがしかのドロマエオサウルス類の前上顎骨歯と考えることができるだろう。

 リチャード

テシアの場合、まともに(同定がそれなりに可能な程度に)骨格の残った標本でリチャード テシア型の歯が植わっていたという例は知られていない。R.ギルモアイのホロタイプの歯骨とどんぴしゃで一致する歯骨も現状では確認されておらず(このあたり、例えばブイトレラプトルでは内側面の観察が難しいという事情も効いてくるだろう;しばしば魚食性が指摘されるリチャード テシアだが、ブイトレラプトルやハルスカラプトルといった同じく魚食性の可能性が指摘されているものと、保存されている限りでは特別歯が類似しているわけでもないようだ)、ままならない状況である。R.イソスケレス(こちらは遊離歯しか知られていない)に至っては恐竜ではなくセベコスクス類との類似さえ指摘されており、"tooth taxon"の面目躍如といったふうでさえある。あるいは、リチャード テシア2種は同じ(複数の)種の異なる位置の歯を見ているのかもしれず、"tooth taxon"の多様性の評価の意味を突き付けてくる。パロニコドンとリチャード テシア2種が同じ(やはり複数の)種の恐竜に属する可能性さえままあるのだ。

 

 リチャード

テシアやパロニコドン各種を他の恐竜の属種(しょせん形態分類に過ぎないのは同じことなのだが)と同じ次元で評価する研究者はとっくの昔にいなくなっているはずではあるが、とはいえ現状ではこれら"tooth taxon"も名前を付けて扱うほうが便利なケースは多々あるだろう。 後期の広大な時空間で栄えたなにがしかの(恐らくは)非鳥類獣脚類の存在は確かであるし、それがかつての久慈――太平洋を望む沿岸域で暮らしていたのも間違いない。ザプサリスの正体は命名から140年ほどで突如明らかになったわけで、北米やアジアのどこかにはリチャード テシアやパロニコドンの持ち主がそっくり眠っているはずである。

 

 

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Chilantaisaurus tashuikouensis (holotype IVPP V.2884.2 –7; upper row)

and  Siats meekerorum (holotype FMNH PR 2716; lower row).

Scale bars are 1m.

 

 

“中期”(いわゆるガリック世――バレミアンからチューロニアン)、とりわけセノマニアンからチューロニアンは、 前期型から 後期型へと恐竜相の一大転換が起こった時期である(ジュラ紀/ 境界での変化は実のところ比較的ゆるやかでもあるようだ)。 前期に猛威を振るったカルノサウリアは12m級のものを連発する一方(少なくとも記録上は)スピノサウルス類は唐突に姿を消し、アークトメタターサルを備えたコエルロサウリア――もはや小型ではなくなりつつある“中間型” 類を含む――が表舞台へと躍り出るころである。鳥盤類もハドロサウルス様類やケラトプス様類の出現、アンキロサウルス科やノドサウルス科の前期・後期メンバーの交代と枚挙に暇がない。
 鳥盤類は比較的恐竜相の転換について詰めて論じることができそうなのだが、一方で獣脚類は厄介である。南米の状況は比較的わかりやすいが(ヨーロッパはそもそも取り付く島がない)、アジアと北米は一筋縄ではいかないようである。カルノサウリアに混じって、怪しげかつ馬鹿でかい――10mを優に超える分類不詳の獣脚類が頂点捕食者として君臨していたらしいのだ。

 

 モンゴル高原――(外)モンゴルと

に恐竜の名産地が点在していることは言うまでもない。中国・ソ連の共同調査隊は1959年から60年にかけて 西部のアラシャン砂漠へと乗り込み、烏梁素海Ulansuhai層(チューロニアン?;後述)で様々な恐竜化石――巨大な鎧竜(のちのゴビサウルス)、ほぼ完全な鳥脚類、そして部分的だが保存良好な複数の中~大型獣脚類を得た。

 これらの化石は例外なく数奇な運命を辿ることになるのだが、いまだ謎のベールに覆われた大型獣脚類が、チランタイサウルス・タシュイコウエンシス――10m超級の“メガロサウルス類”であった。

 1964年に烏梁素海層産の獣脚類を記載するにあたり、胡はこれをひとつの属――チランタイサウルスとして命名した。模式種C.タシュイコウエンシス(模式標本には要素ごとに別のナンバーが振られているが、同一個体とみて間違いないだろう)は腸骨の断片と頑丈な四肢――異様な三角筋陵をもつ上腕骨ややたらごつい末節骨を含む――からなっており、大腿骨の長さからし

並みの大型獣脚類――当時知られていた中国の恐竜としては最大のものであった。もう一つの種であるチランタイサウルス・マオルトゥエンシスChilantaisaurus maortuensisは部分的な頭骨と軸椎、いくつかの遠位尾椎(これらもそれぞれ別ナンバーが振られているが、大方同一個体とみて間違いない)からなっており、実のところ両者を同じ属とみなす根拠は特に何もなかった(違う種とするのもそれはそれですんなりいかない状況であるのだが)。

 なんだかんだでC.タシュイコウエンシスにせよC.マオルトゥエンシスにせよ独特の形態はみられたのだが、“伝統”に従ってチランタイサウルス属がメガロサウルス科にぶち込まれたことで事態は悪化した。1979年になり、薫は浙江省の塘上Tangshang層(

後期;時代不詳)で発見された獣脚類の断片を(C.タシュイコウエンシスと似た末節骨をもつことから)チランタイサウルス・ジェージャンゲンシスC. zheziangensisとして記載・命名したのである。ダメ押しにホルツらがうっかり“アロサウルス・シビリクスAllosaurus sibiricus”(ベリアシアン~オーテリビアンの産という珍品である)まで含めたことで、チランタイサウルス属は完全なゴミ箱分類群となった。

 

 烏梁素海層の時代は文献によって混乱が生じている。胡による原記載では烏梁素海層はちょうど

前期・後期にまたがるものとなっており、C.タシュイコウエンシスは 後期、C.マオルトゥエンシスは 前期のものとされた。その後の研究で烏梁素海層はもっぱらアプチアン~アルビアンとされた一方、烏梁素海層に不整合で覆われる下位層では1億4600万~9200万年前(チューロニアンの中頃)という絶対年代が玄武岩から得られている――というのは90年代の話で、最近の研究ではこの絶対年代は1億4600万ないし1億4100万~1億900万ないし1億800万年前(アルビアン)に修正されているようだ。このところの文献では烏梁素海層の時代はざっとチューロニアンとされていたわけだが、最近の情勢を踏まえるに、もう少し古い可能性はありそうなところである。ゴビサウルス段階のアンキロサウルス類がいなくなって久しいバイン・シレBayn Shireh層からとりあえず9000万年前という絶対年代が得られている現状、烏梁素海層はセノマニアン~チューロニアン前期くらいの位置付けでよいのかもしれない。
 一方で烏梁素海層ではプロトケラトプスと思しき角竜の産出も知られており、時代論の混乱に拍車をかけている。単に烏梁素海層の堆積期間が長かっただけというなら話は単純なのだが、このあたりの層序学的研究はまともに進んでいないようである(バヤンマンダフのあたりまで烏梁素海層の露出域とする場合さえあるようだ)。シノルニトミムスの原記載ではプロトケラトプスの産出をもって烏梁素海層をカンパニアンとしているが、シノルニトミムスの産出層準がカンパニアンかどうかはまた別の話である。

 

 そうは言っても、これだけのゴミ箱がずっと手付かずだったわけではない。1990年には(The Dinosauriaの初版にて)“チランタイサウルス”・ジェージャンゲンシスがまごうことなきテリジノサウルス類である可能性が指摘された。薫の記載した大きな末節骨は手ではなく足に由来するものだったのである。この意見は今日に至るまで追認され続けており、“チランタイサウルス”・ジェージャンゲンシスはテリジノサウルス類とみて間違いない。
 “チランタイサウルス”・マオルトゥエンシスについても90年代からC.タシュイコウエンシスとは完全に切り離して論じるべきという風潮が強くなっていた。チューレは2000年の博論(当然未出版である)にてこれに“アラシャンサウルスAlashansaurus”というややこしい(非公式の)属名を与え、何を思ったかラボカニアの近縁種とみなした(結果、ラボカニアもろともアークトメタターサリアに置いた)。

、栄えあるアジア産カルカロドントサウルス類第1号として再記載された。
 “アロサウルス・シビリクス”は何しろ第II中足骨の遠位端だけ(しかもC.タシュイコウエンシスとは特に何も似ていない)ということもあって今日では一般に顧みられないが、どうもメガラプトラのそれと関節面の形状が酷似している。
 そんなこんなで残されたチランタイサウルス・タシュイコウエンシスだったが、結局これが最も厄介な代物であった。既知の獣脚類のどれとも似ていないのである。

 

 原記載でメガロサウルス科とされたチランタイサウルス・タシュイコウエンシス――正真正銘のチランタイサウルスだが、そのままで済むはずは当然なかった。80年代も後半を過ぎればポールやモルナーらはこれを(

科へと続く)アロサウルス上科へと置き、ハリスは1998年のアクロカントサウルスの再記載において派生的なアロサウルス上科(この場合 科は含まない)――ネオヴェナトルやアクロカントサウルスと近縁とした。が、ハリスの解析はC.タシュイコウエンシスと“C.”マオルトゥエンシスを混ぜて行ったものであり、その後の研究でばっさり切り捨てられることになった。
 チューレやラウフットは前肢の特徴(上腕骨のカーブが弱い+末節骨がデカい)に基づき、本種をメガロサウルス上科に置いた。ラウフットはさらに突っ込んで、チランタイサウルスをスピノサウルス科の姉妹群とした――が、ベンソンらによる再記載でこれは退けられた。
 2008年に行われたベンソンらによる再記載でもチランタイサウルスの系統関係ははっきりしなかった――メガロサウルス上科には入らなさそうだった一方で、アロサウルス上科にもすんなり含められそうになかったのである。悩んだ挙句にベンソンと徐は、ジュラ紀中期に出現した原始的なアヴェテロポーダ(=メガロサウルス上科よりも派生的な獣脚類)の生き残りでさえある可能性を述べる始末だった。

 

 風向きが変わったのは、ベンソンらによる2010年の研究――メガラプトラの提唱であった。チランタイサウルスはいくつかの細かな特徴をフクイラプトルやアウストラロヴェナトルと共有しており、系統解析の結果基盤的なネオヴェナトル類――メガラプトラのすぐ外側に置かれたのである。
とはいえ、これに対する反論も根強い。チランタイサウルスは他の(明らかな)メガラプトラと比べてずっと巨大かつマッシブであり、長骨の基本形はメガラプトラとは似ても似つかない代物ではあるのだ。

 似たような状況はシアッツ――

科出現以前のものとしては目下北米最後の大型肉食恐竜――にもいえる(特別にチランタイサウルスとシアッツが近縁というわけではないようだが)。明らかな亜成体でありながら全長10mを優に超えるこの恐竜はシーダー・マウンテンCedar Mountain層の最上部、マッセントゥフィットMussentuchit部層上部(セノマニアン前期;ざっと9900万年前ごろ)からの産出で、(チランタイサウルスよりも派生的な)メガラプトラとして記載された――が、そもそもの標本がわずかな椎骨と腰帯の断片にほぼ限られるということもあり、受けはあまりよくない。
 結局、チランタイサウルスにせよシアッツにせよ、いまだに系統的な位置付けはおぼつかない。どちらも現状ではなにかしらのアロサウロイドとしておくのが「無難」なようではある。

 

 烏梁素海層にせよシーダー・マウンテン層の最上部にせよ、これらの獣脚類が頂点捕食者として君臨していたころにはすでに“中間型”

類が中小型獣脚類としてのさばっていた可能性がままある。烏梁素海層ではシノルニトミムス――アークトメタターサルを備えたオルニトミモサウルス類としてはアーケオルニトミムスと並んで最古級の可能性がある――が産出しており、なにかしらの“中間型” 類の存在を匂わせている。シーダー・マウンテン層ではマッセントゥフィット部層よりも下位からモロスが産出しており、マッセントゥフィット部層にも“中間型” 類がいたのはたぶん確かだろう。
 系統的位置付けの混乱しているチランタイサウルスではあるが、今さらシャオチーロンのシニアシノニムになることはなさそうだ。もっとも、胡が原記載で示したようにチランタイサウルスとシャオチーロン(とりあえず全長8mといったところで、チランタイサウルスと比べればだいぶ小さい))とでは産出層準が異なるようでもあり、烏梁素海層で両者が共存していたかどうかは現状不明でもある。
 チューロニアンからコニアシアンそしてサントニアンにかけてのどこかで頂点捕食者の転換が起こったのは間違いない。コニアシアンとサントニアンが嵐のように過ぎ去った後、そこに立っていたのは9mほどの 科だったのである。